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究極のコレクターへの招待

『ラン熱中症 愛しすぎる人たち』
エリック・ハンセン/屋代道子訳/NHK出版

まずは、本書の冒頭に掲げられた、ラン栽培家ジョー・クーニッシュのコメントを引用することにしよう。曰く――

アルコールが癖になっても、やめることはできる。
薬も女も食べ物も、車だって断つことはできる。
だが、ランにとりつかれたら、おしまいだ。
逃れることはできない……絶対に。

例えば、食い物としての植物くらいしか興味のない人間にとってはおよそ信じがたい言葉であろう。たかがランごときにおおげさな。まるで、出会ってしまったが最後、その人の人生はランに捧げなくてはならない運命にあるみたいじゃないかばかばかしい、とか。
もちろん、何かのコレクターになってしまったために、人生を狂わされてぼろぼろになってしまった人や、その手の話を聞くのが三度の飯より好きな人にとっては、「あー、たいていの人はそういう譫言のようなことを言ってしまうんだよね。よくあることだようんうん」などと妙に普遍化して捉えようとするかもしれない。ま、いずれにせよ大したことじゃない。

しかし、である。ランをコレクションするという行為自体が時として犯罪になる、ということだったらどうだろう。花を愛でているとき突然武装した警官隊が押し掛けて、貴重なランを根こそぎ奪っていくことが起こっているとしたら? さらには、ランをとりまく現状をつきつめていくと、必然的に環境保護につきまとう奇妙な逆説にたどりつく結果になるとしたら? それなら、さすがに「よくあること」とは言ってはいられないだろう。
……本書は、そんなランをとりまく人や環境を巧みに描きだした、極めて興味深いノンフィクションである。

作者のエリック・ハンセンはまず、ボルネオの熱帯雨林までやってきたラン愛好家のエピソードを書きだしていく。そもそも、彼は先住民ブナンの人々のために、植物の栽培場を建設しようとしていた。しかし、様々な障害により計画が暗礁に乗り上げられていたある日、ランの栽培家から、一通の手紙を受け取る。曰く、現地で咲いているという極めて貴重なランを見たいので案内してくれという。作者はさっそく案内役のプナン人と共にジャングルの奥へと踏みいっていく。
そして、ここで同行したラン栽培家の熱狂ぶりを通して、野生のランめぐる驚くべき魅力(魔力)と、そこで展開されるどろどろとした政治的な話が語られていくことになる。読了して気が付いたのだが、第1章はほとんど本書全体の要約のようなかたちになっていて、2章以降はそれぞれのテーマをより詳しく紹介する構成になっているようだ。そもそも、本書で作者が主張していることもはっきりと1章で書かれてしまっているし。ただ、1章のエピソードはノンフィクションと呼ぶにはいささか常軌を逸していることばかりで、読者はこれって手の込んだジョークの一種ではないかと思ってしまう(ような書き方を意図的にしている感じがする)。で、実はこれってジョークではなくてマジでした、ということが2章以降を読んで行くにつれてわかるような仕掛けになっているわけだ。

まずは、数々の熱狂的なランの栽培家が登場し、自分たちがいかにしてランを育てることにのめりこむようになったかが語られる。出てくる人たちはそれぞれ個性があって実に面白い。なかでも、妻から自分とランとどちらをとるかと迫られたときに、ノータイムでランと答えたという話はめちゃめちゃ面白い。また、ランのアイスクリームや、香りを利用した化粧品などといった優雅な話題もある。しかし、なんといっても本書の核心は、後半にある。ランの輸出入を取り締まる人たちや、その被害(?)に合った人たち。そして、環境保護のためにかえって保護対処となっているランを救うことができないという奇妙な逆説。次第に話題がシリアスになっていくあたり、実にうまい構成と言えよう。読んでいくうちに、もしかして自分はとんでもない世界にいるのではないか、とか思ってしまった。ただ、全体的に所謂“官僚的な振る舞い”に対する批判や、傲慢な権威者の悪役ぶりが強調されていたのが、ややひっかかったかな。

で、まあ、要はとても面白い本だった、ということが言いたいわけであるが、それでも最後まで疑問に残ることがある。つまり、ランって本当にそんなに魅力的なの? ということだ。
だって、幾らなんでもたかが花でしょう。なんで花ごときでこんなおおげさな話になるわけー。信じられん。ってことで、ここはひとつ自分でランを購入し、観察してみることにした。あ、でも、ランを買ったら犯罪行為に手を染めることになるのかしら? ←違います

(胡蝶蘭正面図)
〔コチョウラン〕

購入したのは、ランのなかでも結構人気がある(らしい)コチョウラン(胡蝶蘭)。上から見るとこんな感じ(↓)である。ちなみに、この写真は花の白さが綺麗に出ていることもあり、結構気に入っている。が、なんか、我が子を撮影してWebにアップする親みたいな行為ではないかとか思わなくもないが、気のせいだろう。

(胡蝶蘭上面図)
〔上から見たコチョウラン〕

そういえば、コンテストで審査されるランは、花が大きければ大きいほど評価が高くなるらしいが、今回私が買ったものは、花弁がこぶりである。しかし、何事も大きければいいわけでもないだろう。『ラン熱中症』では、ランの審査員を傲慢で醜い人たちとして描かれていたわけだし。むしろ小さいことによって、気品をたたえていると言えるのではないだろうか。うんうん。

(下から見上げた胡蝶蘭)
〔気品に満ちたコチョウラン〕

ただ、ちょっと残念なだったのは、香りが全然しないことだ。どんなものなのか楽しみにしていたのになあ。いやもしかしたら、いまの蕾が開いたときに、そして春を迎えたときに、コチョウランはまた別の姿を見せてくれるのかもしれない。その時を楽しみにすることにしよう。ところで、水ってどんなタイミングであげればいいんだっけ。ああ、手入れを怠ったあげくに枯れちゃったらどうしよー。


Last Update : 2001/04/01
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