『語り手の事情』の事情

『語り手の事情』
酒見賢一/文藝春秋/1998年3月30日発行

 今回は『語り手の事情』について考えてみる。本テクストにおけるウリとは何か?

「エッチな描写」

 ……ちがあああああああう! それは大きな間違いだ。確かに本書はそういうシーンがたくさんある。だからといって、エロ本とみなすのは、勘違いも甚だしい。思考をそこで停止すべきではないのだ。では、我々は一体このテクストのどの部分に注目すべきなのであろうか? そう、それは「妄想」である。人々がどうしようもなく、抱いてしまう甘美な妄想。そしてそこから生まれ出てくる様々な文化と思想。テクスト中で性的な描写が多いのは、別に作者が読者サービスをしようとしているのではない(多分)。性こそが妄想と最も密接に関わっているからに他ならないのだ。
 では、以上のことを踏まえた上で、我々がすべきことはなにか。言うまでもない。妄想するのである。どんなことを? もちろん、『語り手の事情』なんぞを読む人を妄想するのだ。

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  1. 電車の中で読んでみる。

     ……あら、なにかしら、隣の人。肩をふるわせて、顔色は、……真っ赤じゃない、何かをこらえているような……って、なんだ本を読んで必死に笑いを堪えているのねっ。
    「ぷぷっ」
    あ、声がもれた。なんだ、一瞬心配して損しちゃったわ。……でも、彼が読んでる本って、そんなに面白いのかしら。ちょっと、興味があるわ。こっそり覗いてみましょう。

    「……半ば無理矢理着替えさせると、首輪付きの革製の衣装は後の世に言うボンデージ・ファッションというものです。乳房から肩まで露出し、股刳りの深い革のガードル、紅潮した肌から少女らしい芳香が匂い立ち、部屋中に満ちました」

     って、なにこれ! これってばもしかして本はポルノ? ひええええええ、電車の中で堂々とポルノ小説を読んでるなんて、しんじらんなーい。しかも、笑いながら。この人、はっきりいって異常よ! ポルノをしかも電車の中で読むこと自体異常だけど、さらに、そおいうシーンを読みながら笑えるなんて、ちょっと頭おかしいんじゃないかしら。これだから最近の若者ってダメなのよね。私達とは頭の構造が違うのよ。で、バタフライナイフとかを持って、人を刺したりするのよね。……ってもしかしてこいつもナイフ持っていたりして、で、あたしとかに突きつけて本に書かれてあることを強制する気なのねっ! なんてこと! どうしよう、あたしもしかして、目をつけられてるの? あ、こっちむいた! きゃああああああああああ、たすけてえええええええええええ。

    結論:多分その本を読んでいるのは人畜無害な人間ですのでご安心ください、奥さん。


  2. 書店で立ち読みする。
    私の蔓は甘い粘液を滴らせながらお前の服の下の敏感な部分をのがさず撫で回す。もうお前は椅子に縛り付けられた私の女。逃れることなど出来ないの。あとは擦られてゆっくりと身体を開くだけ。太股の間にあるいちばん感じる小さな部分はとくに念入りに触れてあげる。

     こ、これはああああ、もしかしてエロ本!? すげえ、なんか本当にエッチな描写だぜえええ。そうか、なんか周りの本はみんなブンガクって感じで敬遠していて読む気がしなかったんだが、畜生、こういうものが隠されていたのかっ! しかし、そういったくそ真面目の本の中からこういうやらしい内容の小説を発見できるなんて俺ってば、本を見る目があるじゃん。我ながらたいしたものだと思うよな、うんうん。ちょっと見た感じでは表紙ってなにか高級そうだもんな。よく見るとなんかアブナい絵が描かれてあるのがわかるけど、なあに俺様ほどの眼力を持ってない奴にはわかりゃしないって。絶対どこぞの偉い作家が書いた純文学だって思うって。しかし、これまで俺が見たポルノってみんな表紙が露骨なものばかりなんで、買うのも立ち読みするのも気後れがしちゃってたんだが、これなら堂々と大手を振ってレジに持っていけるってもんだ。あー、なんか得した気分。さっそく買って家で読もうっと。楽しみだなあ。うひひひひひひ。

    結論:なんとなく、ある意味では期待を裏切られるようなお話になっているような気がしますが、別の意味では得るものがあるでしょう。


  3. 正当な読者である。
    「……年下の男を誘惑して、バージニティを奪ってくれるのはメイドか女家庭教師と決まっているんだよ。知らないのかい」
    「……メイドとか女家庭教師はもう心底から淫乱で、いつも発情していて、男とあれば手ぐすね引いて待っている吸精の毒婦のはずなんだけどなあ」

     こ、このアーサーって奴の趣味はまるで俺そっくりじゃないかあああ。というか、俺そのもの。しかも、こいつは本当に屋敷へ行ってメイドのおねーちゃんと目的を達しているじゃないかあああああ。くっそお。って、他の登場人物もみんな俺と同じ趣味をしているじゃん。……なあああんだ。みんな、そおなんだ。みんなこういうことを考えているんだ。つまり、世の中の奴らはみんな変態なわけだ。どーしよーもないな。しかも奴らは本当に妄想したことを実行に移しているんだからな。俺なんか、たとえ妄想したとしても、すべて心の中でとどめておくんだぞ。なんて、奥ゆかしい俺。つまり、俺は正常で、他の奴らが異常であるということだ。そうか、そうだったのか。ま、そういうことなら、自らの正しい行いをこれからも続けていくことにしよう。うんうん。みんなだめだよ、あーいうイケナいことをやっちゃ。せめて妄想にとどめておかないと。

    結論:こうして未来の性犯罪者になりうる素質を持った人間がまた一人、改心した(?)。ありがとう酒見賢一。



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