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読書メモ(2002年5月〜)


発明家万歳

『最果ての銀河星団』

人類が宇宙に進出した遙かなる未来。一定の周期で活動/不活動を繰り返すオンオフ星をめぐる惑星に知性体が存在することが確認された。この星系が生み出す利益を獲得するために進出した二つの船団は、途中大規模な戦闘を行った結果、互いに修復が不可能なほどの被害を出してしまう。両船団の生き残りは協力して、知性体が高度な文明を築くのを待つことになったのだが……。

『ハイペリオン』以来、久しぶりに長さに似合うだけのSFを読んだ感じ。こういう、めいっぱいSF的ガジェットを詰め込んだ話は読んでいて実に楽しい。
そんなわけで、魅力的な要素は幾つも挙げることができるのだが、なかでも強調したいのが時間的空間的スケールの大きさ。まだ、光速を超える手段が発見されていないという縛りをかけることで、かえって舞台となっている宇宙の大きさを強調し、移動中の大半の時間を冷凍睡眠にあてているという設定を入れることで、一人の人間が活動する時間を何百年(ヘタをすると何千年)という単位にふくらませている。なかでも本書冒頭の、気の遠くなる時間と空間に渡ってある人物を捜索する課程をつづったわずか1ページちょいの描写は、この壮大なスケール感をとてもよく表している。ただ作者はむやみやたらにスケールを大きくするつもりはないらしく、ストーリーを構成する主な舞台は一つの惑星とその周辺にすぎない。むしろ、こうしたスケール感は、本編で起きる様々な事件の背景として描かれており、うまくバランスをとっている。
惑星上に住んでいるのは、人類とはまったく違うかたちで進化した蜘蛛型生物だった。彼らの描写は、実にリアリティがあり、またオンオフ星による影響をうまくストーリーと結びつけることに成功している。実際、暗季をまたいだ2つの国家の興亡の詳細は、それ自体ひとつの優れたSFとして独立させてもいいんじゃないかというほど面白い。しかし、本書では彼らの社会はあくまでも、人類たちの観察対象という役割を負っているため、読んでいてどうしてもシミュレーションゲーム上の惑星とその住民という印象を受けてしまうのはちょっと残念だった。が、まあそこをうまく利用していていたりするのだが。
また、SFに政治力学を持ち込むとろくな事にならない気がするが(ベアとかベアとかベアとか)、これは一応成功した例にいれてよいだろう。やっぱり、虐げられた者達が最後の最後に反攻の狼煙をあげる話は燃えるものがある。

『最果ての銀河星団(上)』
『最果ての銀河星団(下)』
(ヴァーナー・ヴィンジ/中原尚哉訳/創元SF文庫/2002年)


現実の終わり、SFの続き

『90年代SF傑作選』

例えば50年代や60年代のSFを読む場合、読み手は当時の文化や歴史的背景をある程度頭に入れておく必要があるし、それをリアルタイムで読まれていた諸先輩の回顧をありがたく拝聴することになるわけである。しかし、対象作が現在に近ければ近いほどその手の手間は必要なくなってくる。読者は「今」の時代感覚そのままでSFを心おきなく読めるようになるし、諸先輩はヘタをすると現代のSFに関してはついていけなくなっているかもしれない。
そんなわけで、近しい時代の小説を読むというのは割と特権的な行為であり、ならば21世紀に入って間もない今こそが『90年代SF傑作選』を最も面白く、そして気楽に読めるタイミングであると言えるだろう。……とはいうものの、実はそれほど今じゃないとわからない先鋭的な小説群という感じはしなくて、ウェルズへの一種のオマージュから、ハードSF、サイバー・パンクといった、これまでのジャンルを90年代風にアレンジしたオーソドックスなSFばかりが収録されている。したがって、読んでいてとまどったり、難解だと眉をしかめることはさすがにないだろう。ただ、逆に言うとちょっと無難すぎるという感もするが、まあそういう人はイーガンを読めばきっと満足するはずだ。
以下、印象に残った収録作を挙げておく。

「フラッシュバック」(ダン・シモンズ)

崩壊したアメリカ社会とそこで幅をきかす日本企業を背景として、過去を容易に再生してくれる「フラッシュバック」という名の一種の麻薬を追い求める人々を描く。

例え21世紀に一番近い時代の短編集とはいってもやっぱり古く感じられるものはあるんだということがわかる小説。現在のアメリカと日本の立場からすると、こういう世界観はひと昔前といった感じがしてしまう。もちっと時が経つと、“ヤクーサ・ボンズ”みたいな感覚で楽しめる日が来るのかもしれない。
(嶋田洋一訳)

「バーナス鉱山全景図」(ショーン・ウィリアムズ)

七つの階層を持つ宇宙一の鉱山で死亡した兄の事故現場とその原因を確かめるため、主人公はガイドと共に階層奥深くまで下ってゆく。だが、そこでは想像を絶する光景が広がっていたのだ……。

これはいわば、地獄巡りのお話だと思うのだが、各階層の描写が実に秀逸で、たった40数ページしかない短編とは思えない密度の面白さを味わうことができる。上巻の収録作では一押しだろう。ただ、階層を下ろうとするたびに人々から理解不能な憐れみの眼で見られるというネタや、ガイドが鉱山に入るときにすでに死を覚悟しているあたりの下りを読んでいて、妙に火浦功が書きそうな短編だよなとか思ってしまった。なので、できればもちっとくだらない落ちで締めてほしかったのだが。
(嶋田洋一訳)

「オルドヴァイ峡谷七景」(マイク・レズニック)

遙かな未来。地球に訪れた探検隊は、かつて宇宙を荒らし回った人類の遺品を集め、そこに込められた「物語」を抽出しようと試みていたのだが……。

なんというか、「バーナス鉱山」の次は「オルドヴァイ峡谷」かよ、と似たようなタイトルが続いてちょっとげんなりしたのだが、こちらは人類が宇宙に出ることになった歴史をマサイ族を目を通し、そしてその結果を宇宙人の目を通して語るという構成になっている。そしてこれは多分、人類の祖先が骨を空中に投げ、それが宇宙船に変わるまでの歴史をレズニックが補間した物語でもあるのだろう。
(内田昌之訳)

「永遠に、とアヒルはいった」(ジョナサン・レセム)

ヴァーチャル・スペースにて開催された結婚式のパーティに呼ばれたゲストは、かつて二人のどちらか(あるいはその両方)と関わりを持った人のコピーだった……。

本短編集の裏テーマである『90年代どうぶつ傑作選』その1。
知能が発達した動物が登場する『銃、ときどき音楽』が印象的だった作者による、閉塞感に満ちた短編。本作でも、ホストの都合によって、容姿を動物に変えられてしまう人たちが出てくるあたり、共通したテーマがあるんじゃなかろうか。
(浅倉久志訳)

「わが家のサッカーボール」(イアン・R・マクラウド)

人間が自由に動物に姿を変えることができる世界。主人公の母が突如ミツユビナマケモノに変化し一向に人間に戻らなくなってしまった。この事件の背景にはある隠された過去があった……。

『90年代どうぶつ傑作選』その2。
こちらは、動物に変身させられるのではなくて、自ら動物に変化してしまうお話。まあ、とても家庭的なBLOODY ROARって感じ?(←全然違います)
しかし、この世界にレクター博士とかがいたとしたら、いったい何に変身するんだろうか。やっぱりドラゴン?
(宮内もと子訳)

「マックたち」(テリー・ビッスン)

ビッスンはできれば本邦初訳の短編を読みたかったのだけれど、既訳作が収録されてしまったのはとても残念。とはいえ、内容的には本短編集のなかでも1、2を争う(正確には、2、3を争う)出来の良さなので、未読の人には是非読んで欲しい、そしてゆくゆくはビッスンの単行本が出る日が再びやってくることを願っている。

さて、「衝撃的なラスト」というかたちで紹介されることが多い本作だが、ストーリーや設定も十分に衝撃的ではないかと思う。より科学が進歩し、それが時代の価値観と結びついたときに生まれるディストピアの恐怖を味わうことができるはずだ。
(中村融訳)

「フローティング・ドッグズ」(イアン・マクドナルド)

天使の導きによって一体のロボットと六頭の動物がある使命を果たそうとする、『90年代どうぶつ傑作選』その3。
SFマガジンで読んだときは、そのスケール感やかっちょいいガジェット描写にしびれたものだが、今回読み返したときはビジュアルイメージがどうしても「ロード・オブ・ザ・リング」とかぶってしまってちょっと困った(えーと、そうするとガンダルフはパパ・マシン?)。ファンタシーと、サイバー・パンク的な要素の融合がかっこいい傑作。
で、『じゃんけん』はいつになったら出るの?
(古沢嘉通訳)

「ルミナス」(グレッグ・イーガン)

「90年代最高のSF作家はグレッグ・イーガンである」という歴史観に基づいて作られたのが本短編集ではないかと思わせるほど、ダントツの面白さ。秀逸なガジェット群やその描写、そして例のキチガイじみた発想など、他の収録作と比べて一歩も二歩も先んじている感がある。読んでいる間、ひたすら心の中で「すげええええええ」と叫んでいたような。

ただ、読了後冷静に考えると、ところどころ穴も見えなくはない。ストーリーはほとんど無いも同然じゃないかとか、冒頭の手術についてはいかがなものか(体液の飛散を防ぐためにも全身を防護する服くらい着るだろう)とか。が、そんなことは本作の欠点にすらならず、SFの面白さを決定するのは結局はネタなんだということを教えてくるあたりはさすがはイーガンと言えよう。
(山岸真訳)

『90年代SF傑作選(上)』
『90年代SF傑作選(下)』
(山岸真編/ハヤカワ文庫SF/2002年)


よくできたSF

『秘密――トップ・シークレット――』

死者の脳に蓄積された映像の記憶をMRIスキャナーで再生し、捜査を行うようになった世界が舞台の近未来ミステリ。本書では、この捜査方法を使用したアメリカでの最初の事件を描く「秘密 トップ・シークレット 1999」と、日本でMRIスキャナーを導入し捜査を行っているチームとその室長を主役に据えたエピソード「秘密 トップ・シークレット  2001」の2編が収録されている。二編間についてはMRIスキャナーが存在している世界であるということ以外、特に繋がりはないようだ。

帯の紹介や、物語の雰囲気を見る限り、「〜1999」がプロローグ、「〜2001」が本編という位置付けになっているようなのだが、物語としての出来はプロローグの方が遙かによい。それぞれの主観によって再構築される景色、そしてそこに重ねられる形であらわれてくる感情の動き。また、こうしたことをスキャナーで映像化されてしまうことに対する恐怖など、この設定から浮かび上がる主題をきっちりと消化している。
ただ、最大の問題はこのエピソードの完成度があまりにも高すぎるので、肝心の本編自体が蛇足に感じられてしまうことにある。あれだけまっとうな心理描写を行ったエピソードの直後にサイコサスペンスをもってこられると、ただただ下品にしか感じられないのだ。だいたい、被害者や犯人の脳をのぞき見るために、捜査員は常に狂気の淵にさらされる……って、それは露骨に「ミレニアム」じゃないかー。しかも、狂気の心理描写はいまいちでとりあえずエグい絵でごまかしているだけでちっとも面白くない。結局読了した後に残るのは、ちょっとした視点の揺らぎから故人の想いを掬い取った「〜1999」と、犯人の心理を独白というかたちにしてお茶を濁した「〜2001」の圧倒的な差だ。
私はマンガをほとんど読まないのだが(別に深い意味があるわけではない)、とあるミステリ雑誌の紹介に興味を抱き、ふと手を出してみたのだが、これはどちらかというとミステリとしてはダメなんじゃなかろうか。むしろ、SFとして評価できる逸品(ただし「〜1999」限定)と言えよう。ただ、2巻以降も延々と「ミレニアム」もどきな話ばかりだったら、もう読まなくてもいいんじゃないかなあと思っている。プロローグの内容をきっちり踏まえそれを超えるような話にしないと本編の存在意義はないだろう。やるんだったら、自分の脳まで観察の対象とされるのなら、自意識を守るには狂気に走るしかない! といったところまで突き詰めないとダメなんじゃなかろうか。

『秘密――トップ・シークレット――』(清水玲子/白泉社/2001年)


Last Updated: <2002/08/11 13:16:06>
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