Book of Days 4月前半

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4月18日  尻尾の描写は好きさ

 えーと、昨日の日記を読んで、「6億5千万年前? 恐竜の発掘にしてもずいぶん古い地層だなあ」と、思った皆様。大変失礼いたしました。6500万年前の間違いでした。謹んで訂正(証拠隠滅)させていただきますとともに、皆様の記憶を一度リセットされることを切に希望いたしますです。……うーむ、基本的にこれまでのレビューってみんな記憶に頼って書いているので、細かなところには触れないようにしていたんだけど、「VISITOR」に限っては手元にノベライズがあったものでついつい余計なことを書いてしまったのだった。いかんなあ。

 と、いうことで、今回は少々いい加減でもあんまり文句が来ないであろう(おい)ハリウッド版「ゴジラ」(以下「GODZILLA」)について書いてみることにする。

 しかし、これはなー。色んなところでケチつけられているので、今更書くことってほとんどないような。ただ、私自身は日本の「ゴジラ」自体に思い入れがまるでないので、デザインの改変などで文句を言う気にはあまりなれなかった。それに、「ゴジラ」って、期待しないで観に行ったらその期待をさらに下回る出来だったりしたことを考えると(さすがに、「ゴジラVSスペースゴジラ」以降は観ていません)、そこそこ見所はあった「GODZILLA」をけちょんけちょんに貶す気にはあまりなれない。

 私が、好きなのはなんといっても中盤、マンハッタンを高速で駆け抜けるゴジラの勇姿である。あれはあれでスピード感にあふれていて、なかなかかっこいいのではないか。もうちょっと組織的に攻撃しようとか考えられないのか、とか思ってしまう間抜けな軍用ヘリたちが、次々とゴジラに(あるいは時々味方に)撃墜されていく様もなかなか痛快でよろしい。ビルもばんばん破壊されていく様も壮観だ。こういったアクションをさせるのならば、ゴジラのデザインは悪くはないのではと思うんだけれど。正しい怪獣を見たいのなら、「ガメラ3」があるわけだし。
 問題なのは後半で、ガキのゴジラと人間とのおいかけっこはただただ退屈である。ジュラシックパークじゃないんだから。さらに復活した(親の)ゴジラとのカーチェイスには唖然。作り手のセンスのなさがにじみでていて、実に悲しい。しかし、ゴジラもゴジラだよな。たかが、車一台をムキになって追いかけることはないじゃん。

 しかし、そんなのは私が思うにささいなことで、この映画の最大の欠点はマリア・ピティロの存在であると思う。彼女は、この映画の主人公ニック(マシュー・プロデリック)の元恋人で、現在レポーターの見習いをしているオードリーを演じているのだが、とにかく演技がおそろしく下手。頭の悪いおねえちゃんにしか見えないのだ。映画上では彼女が一人前のレポーターになれないのは、あたかも上司のせいであるかのように描かれているが、どうみても実力だよな。

 とにかく、見れば見るほど、何でオードリーはゴジラに食われないんだろうと不思議に思えてくる。まあ、演技力のない女優が怪獣映画でヒロインを演じるということは、よくあることなのかもしれない。だが、例え大根であろうとも、普通ヒロインであるからには彼女は映画に密接に関係し、重要な役割を果たしているものだ。しかし、「GODZILLA」においてオードリーの果たす役割はあまりにも小さい。あたしは、上司のせいでレポーターになれないとか、世の中正直者は損をするとかどうでもいいことばかり言っていて、メイン部分には全然絡んでこない。多分彼女がいなくても話は成り立ってしまうだろう。まあ、作中に出てくる女性がほとんどいないからとりあえず出した、という解釈もありえるかもしれない。が、よくよく考えれば、女性の博士が一人いるので、そちらをメインに据えればよかったはずだ。博士だったら物語に密接に絡むことができる。
 まあ、頭のよさそうな博士より馬鹿っぽいレポーター見習いを物語の中心に据えるところに注目して、制作者側の女性観を検証することも可能だが、めんどくさいので、略。それよりも視点を変えて、オードリーを有効利用するにはどうしたらよかったのかをここでは考えてみたい。
 まず、演技力という観点から、彼女に主要な役をこなさせるのは不可能であろう。ならば、彼女にはお手軽に観客に己の存在をアピールできるような役割を与えた方がよかったのではなかろうか。と、いうことで、せっかくなので私なりに美味しいシチュエーションを考えてみました。

その1(冒頭):
オードリーはひょんなことから謎の巨大生物がマンハッタンにやってくることをつきとめる。
オードリー:「しめたっ! これは大スクープ! 上司の鼻をあかすチャンスだわ!」
というわけで、ゴジラがいるらしき海域へとオードリーは出撃。で、予想通り出現。しかも、船をずたぼろにされ、あえなくオードリーは海の藻屑へと消えてしまったのだった。嗚呼なんという悲劇! ちなみに、ゴジラによって尊い命を奪われたアメリカ人第一号が彼女であったことは言うまでもない。そして、このことをニュースで知った主人公ニックは強い衝撃を受ける。
ニック:「くそう、僕の元恋人の命を奪いやがって。ゴジラ許せん!」
こうして、復讐に燃えるニックとゴジラとの戦いがはじまった。
――これはまさにゴジラの恐ろしさを印象づけるとともに、ニックの主人公としての立場をより明確にできるという一石二鳥の展開と言えるだろう。

その2(中盤):
ゴジラはマンハッタンに上陸した。軍はその総力をあげて、ゴジラ掃討に乗り出す。
「そうだ、ゴジラを空撮するのよ!」
一連の作戦を映像にできれば、スクープどころかピューリッツア賞も夢ではない。オードリーはカメラマンとともにヘリコプターに乗って、マンハッタンを疾走しているゴジラを追いかける。一方、軍ではゴジラのあまりにもの俊敏さに軍用ヘリが対応できないことにいらだちをつのらせていた。と、
下士官:「司令! ゴジラがマスコミの乗ったヘリコプターに反応しています!」
作戦司令官:「なにい、こんな危険なところになんでマスコミなんぞを入れるんだ! ……まてよ、そうだ、マスコミのヘリを囮にするというのはどうだ?」
下士官:「名案です」
こうして、なぜかオードリーたちは、ゴジラを広い広場におびき寄せる役割を負わされることになる。しかし、この役目を果たせればスクープどころか……以下略。
オードリー「こんな遠いところから写しても、意味はないわ! もっとゴジラの近くまで寄って!」
操縦者「そんなー(泣き声)」
そんなこんなで、多大なる努力の結果、ヘリをゴジラのすぐそばまで寄せることに成功。しかも、まさに丁度そのとき、軍の反撃の態勢が整っていたのだった。一斉に砲撃開始。が、実はゴジラの体温はとても低く(そういういい加減な設定があるのよ)、ミサイルが自動追尾できない。その一つが、オードリーに直撃!
オードリー「きゃー」
――こっちの方がカーチェイスよりも遙かにドラマチックだと思うんですが、どうでしょう。

その3(終盤):
タイムズスクエアにてゴジラの卵をオードリーは発見してしまう。
オードリー:「大変だわ! このことを世界中に知らせなければ!」
しかも、卵がつぎつぎと孵化して、子供のゴジラがあらわれる! と、それを見たオードリーはなぜか動物愛護の精神が芽生えてきたのだった。
オードリー:「そうよ、ゴジラにはなんの罪もないわ。罪があるのは自然を汚してきた人間よ!
彼女は周囲の反対を押し切り、子供のゴジラにインタビューを敢行する。
オードリー:「ゴジラさん、生まれてきたばかり恐縮ですが、人類に対してなにか言いたいことがありますでしょうか? ゴジラさん!?」……ガブッ! (あとは咀嚼音)
ニック:「オードリー! (以下略)」
――核兵器をはじめとした人類の野蛮な行為とそのカウンターとしてのゴジラをはっきりと印象づけることができるエピソード。観客を泣かせるにはもってこいだ。

その4(ラスト間際):
ニックらの機転(と、天文学的な量の幸運)によって、辛くもゴジラを倒すことができた。大地に横たわったゴジラはの横で抱き合うニックとオードリー。が、しかしそのときゴジラが最後の力を振り絞り覚醒する。
オードリー「ニック! あぶない!」
ニックを突き飛ばし、襲いかかろうとしているゴジラ一人立ち向かうオードリー! ……当然、あっけなく食べられてしまう。直後に、軍の攻撃により今度こそゴジラは息絶えたのだった。
ニック:「オードリー。僕は、僕は……結局君を助けることができなかった……」
――うーん、悲劇性は強いけどここまで、彼女が生き残っているのもねえ。

 ま、だいたいこんな感じでしょうか。みんな、ヒロインが死んでますが。まあ、やっぱりそれが一番観客の印象に残ると思いますし。なお、聞くところによると、続編も作られるらしいので、その節は是非是非彼女をなんとかしてほしいですね。


4月17日  「クライアントは三百億の人々よ!」

 海外の、しかもメジャーな映画ばっかり観ていてもなんなので、今回は日本初のフルCGアニメ、「VISITOR」をとりあげてみよう。あ、でもこれってよくよく考えるとビデオ作品なのだった。まあいいや。

 さて、まずはCGの見栄えから述べていこう。
 はっきりいって、ツラかった。基本的に人形アニメっぽい感じを狙って作っているらしいのだが、やはり表情が貧弱なのだ。そのわりには、眼が大きく、本来は豊かな表情を出せそうな造形なので、逆に貧弱さが際だってしまう結果となっている。そんなわけで、とにかくアップが画面に映えない。映像的に、キャラクターを描き込むことができていないわけで、そのせいなのか台詞自体もどこか単調である。そもそも、キャラクターを含めてCG全体がおそろしく貧弱であり、ゲームの美しいデモ映像を見慣れている人間からすると、もはや子供だましという言葉を使うことすらためらってしまうくらいの稚拙さである。……とはいっても、数分のデモと1時間半のビデオ作品とを比べるのは無理があるのだが(しかも、かなり低予算だったらしいし)。実際、不自然にひとつのカットが長い箇所があったり、声と口の動きがあっていない(って、某未完成アニメほどじゃないですが)シーンがあることを考えると、かなりきつい制約があったことは想像に難くない。

 が、しかし、である。「VISITOR」は、映像面のみを見て切り捨てるにはあまりにも惜しい作品であることも確かだ。実はこの作品、バリバリのハードSFなのである。モンゴルにある恐竜の発掘現場にて発見されたアポロ司令船。しかも、それは6500万年前の地層に埋まっていたものだった――という印象的なオープニング。一方宇宙では半物質を貯蔵してあるフォボスが謎の天体によって飲み込まれてしまうという惨事がおきてしまう。いやあ、スケールの大きな話ですこと。しかも、この天体の名称が「カーリー」で、これはクラークの『神の鉄槌』から来ているとか説明があったりする(主人公がクラークファンであるという設定があるようだ)。さらに、カーリー掃討のためにレールガン実験宇宙船〈ダビデ〉が急遽出撃したりと、全編にわたって、ハードSF特有のハッタリが効いていて、観ていてとても楽しかった。
 で、脚本を書いているのが、伊藤和典だったりするのである。しかも、基本プロットが「会社員が地球を救う」というものであることも手伝ってか、なんかパトレイバーっぽいシーンがいくつもあっておかしかった。そもそもキャラクターデザインの高田明美に、主人公の柊美佳と望月リラをそれぞれ香貫花クランシーと泉野明のイメージで、と説明したらしいので、狙っていたのかもしれない。後藤隊長らしき人もでてるし。

 ということで、もしちゃちいCGを我慢できる人ならば、そしてSF(特にハードSF)が好きな人であるならば、結構楽しめるのではないかと思う。観ていて、「ああっ、これが普通のアニメだったらなあ!」としばしば思ってしまったのだが、そうなったらそうなったでストーリーがキャラクター主導になって、ハードSF色がかなり薄れてしまう可能性が高い。ならば、結果としてこれでよかったのかもしれない。
 なお、CGアニメはちょっと……という人は、電撃文庫から同タイトルのノベライズが出ているので、こちらを読むのもいいだろう。かなり本編に忠実に書かれていて、出来はそんなに悪くない(かえって良くなっている部分もある)。ただ、もうちょっと専門用語を羅列してくれるとよかったんだけど、ヤングアダルトだしなあ。


4月16日  あと一話か……

 「カウボーイビバップ」が、ついにラスト・エピソードに突入した。今回はその前編。話の感想は次週にまとめて書こうと思うが、スパイクの過去についての言及がかなりあるだけに、全体的に漂う重苦しいトーンが印象的だった。さすがに、某アニメみたいに、数々の謎をほっぽったまま終わらせるつもりはないみたいだ。多分。
 しかし、考えてみると、WOWOWで放映が開始されたのは確か入院中のことだったんだよなあ。長かったような短かったような。これで、アニメを毎週チェックする生活ともお別れかなあ。あ、「∀ガンダム」という手も。


4月12日  そういえば「クロウ」は面白かったなあ

 今日は、「ダークシティ」に隠された謎に迫ってみたいと思ふ。「ダークシティ」の謎とは何か? それは、なんで露骨にネタバレのナレーションが冒頭に入っているのか? とか、なんで超能力の概念を無理矢理入れたのか? とか、なんで超能力の名前を「チューン」にしたのか? といったようなありきたりの謎ではない(二番目については多分監督の趣味だったんだと思う)。んなこた別にどうだっていい。最大の謎は、なんでヒロイン(ジェニファー・コネリー)の眉毛があんなに黒くて太いのか? である。とにかく太いのだ。彼女の顔をみると、まず黒くて長い髪に縁取られ、そして額の大部分をさらに黒くて太い眉毛が覆っているのである。そして、残っているわずかな面積(←言いすぎ)に目と鼻と口がくっついていることがかろうじて判別できるだろう(←マジで言いすぎです)。一体なんでジェニファー・コネリーはそこまで眉毛にこだわっているのだろうか。いや、まあ、そういう顔だから、という答えもあるだろうが、ほかのパーツならともかく眉毛だったら剃ればいいじゃん、という根本的な疑問を払拭することはできない。あと、彼女が強調すべきなのは、むしろ胸だろうとか。

 もし、合理的な解釈を求めようとするならば、まず考えるべきはこの映画のタイトルが「ダークシティ」であるということだろう。闇とそこに差し込むわずかな光という対照を強調した陰鬱な世界のヒロインは、やはり「黒」がひきたつ女性でなくてはならない。そういう意味では観客がいやでも意識せざるを得ないジェニファーの黒い眉毛は制作者からすれば、おあつらえむきだったのかもしれない。そして眉毛の太さがすなわち、この世界における闇の濃さを暗喩していると考えることができるだろう。
 ちなみに、もうちょっと突っ込んで彼女がこの映画においてどのような役割を果たしているかを検証してみよう。……一見すると、彼女は大して活躍していないのだ。アクションシーンには、まったく顔をだしていなかったはずだし。だが、よくよく考えてみよう。記憶をなくし、さまよっている主人公の身元とアイデンティティを保証してくれるたのは誰であろう、主人公の妻たるヒロインだったのだ。特に、主人公が身に覚えがない(記憶喪失なので)嫌疑をかけられ、投獄されたときに、「でも何があろうとも私はあなたを愛しているわ」と彼女が言うシーンはその最たるものといえよう。映画の後半で主人公は、本来だったら自我崩壊の危機に陥ってもおかしくないような驚くべき秘密を知ることになるのだが、それでもあっけらかんと敵をぶちのめしているのも、彼女の上の発言が効いている(それってすなわち、作り手がディック風の「現実の崩壊」というところまで物語を突き詰めたくなかったということも意味しているんだけれど)。さて、ここで視点を変えて、映画に登場する敵についてみてみよう。全身黒ずくめの彼らはまさに、主人公の命とアイデンティティをおびやかす存在である。ところで、彼らの容貌はどんなものだっただろう? そう、スキンヘッドなのだ。頭つるつる。つまり、頭部における「毛」の有無で観客はそれぞれの登場人物が敵か味方かを安心して識別できるわけだ。と、いうことを踏まえれば、逆に髪の毛だけでなく眉毛さえも濃くすることによって、主人公の最大の味方たるヒロインとアイデンティティのよりどころを象徴的に描きたかったという意図を感じ取れることができるのではないか。そもそも髪の毛の役割に頭の保護というものがある。ならば、眉毛は眼――すなわち、世界を認識する力――を保護する役割を持っていると考えることもできるはずだ。例え世界が変わろうとも、例え記憶喪失になって見慣れぬ世界で生きていくことになろうとも、黒くて太い眉毛のヒロインに支えられることで主人公は戦い抜くことができたのだ。……外見で敵味方を判別できるようにするのは、映像作品においては基本中の基本だとおもうが、それをここまで徹底した映画を私は知らない。

 ……そんなわけで、この映画のきょーくん。――アイデンティティを確立するにはまず眉毛から。


4月11日  ユマ様七変化

 やっぱりユマ・サーマン様を拝むんだったら「アベンジャーズ」を観なきゃね。ということで。えーと、この映画ってセットと衣装に金をかけて、脚本その他(例:エキストラ)をケチった、これ以上ないほど目的意識がはっきりしている傑作です。あまりにも、傑作だったため、ラズベリー賞に8部門もノミネートされたのでした(笑)。
 て、なんか皮肉めいてますが、冗談抜きで、ユマ・サーマンはすごいです。ひっきりなしに衣装変わってます。これって、ファッションショーだったんすか? とか思うくらい。すごいよなー。映画という形式を借りてファッションショーをやるなんて。個人的には冒頭のチャイナドレス姿が一番好みかな? あと、実に幸せそうにユマ様の衣装を脱がそうとしていた様子が印象的だったショーン・コネリーの悪役っぷりもなかなかよかったですな。でも、こんなに主要キャラクターをひきたてることに徹している映画ってそうそうないよな。
 「アベンジャーズ」に関しては、事前に散々悪評を聞いていたこともあって、完全に割り切って観ていて大正解だったなと思ってますが、それはそれとして、映画全体に漂うシュールな雰囲気が楽しめたので、私は結構気に入ってます。


4月10日  映像的に好みなのはオープニングだけかなあ

 いくつもの立方体の部屋で構成された迷宮に閉じこめられてしまった人々の物語。しかも、この迷宮ワナがしかけられていてもう大変! ――といえば、もうおわかりですね(すごくいい加減なあらすじですが)。そう、大ヒットして話題になった「キューブ」。ようやく、観ましたですよ。ビデオで。評判だったこともあって、話は少し耳に入っていたのだが、ようはこの映画って、人々が知恵をしぼって仕掛けられたワナをはずし、生き延びて出口にたどりつけるか? を描いたSFサスペンスという印象があった。だが、観ているうちに、どうも作り手はそうした部分に関してはできるだけ手を抜きたがっていたのではないかと思うようになった。だって、結局「いかにして、ワナを見破って突破するか」じゃなくて、「いかにして、ワナが設置されている部屋を避けて通るか」が主眼なんですもの。実際ワナが設置されている部屋を強行突破していくシーンはたった一箇所しかない(運悪くワナにはまっちゃった、というシーンはもう少しある。登場人物を徐々に殺していくのは当然だし)。まあ、確かに安全な部屋を選んで進んでいくという発想は正しいと思いますがね。私の趣味に合わないだけで。ただ、この迷宮には一つの秘密があるんだけど、それを解いていくのが数学が得意な女の子なのだった。で、彼女が口にするよくわかんない(いや、わかるのもあるんですがね)数学用語を聞いていると、どうしても作り手に「おまえ、難しいことを言わせておけば観客をだませると思ってるだろ」というツッコミを入れずにはいられないのだ。というか、はっきり言って数学的要素に関する処理はかなり杜撰である。多分理系の人が観たらあきれかえるのではなかろうか。

 ……しかし、ワナをはずしたりすることもなく、パズル的要素も薄く、迷宮自体についてもあまり言及されていないというこの映画、じゃあ一体どこが面白いんだろうか?

 と、いうところで突然だが、このビデオ、本編の後に特典だかなんだかわからんが、同じ監督による短編映画「ELEVATED」が収録されていたりする。こちらは、とある事情でエレベーターに閉じこめられた男女の物語。私は「キューブ」よりこちらの方が断然好きだが、それはともかくまた例によって閉鎖空間のなかでの話であるというところに注目してみたい。まあどちらも、予算の制約という側面も無論あるんだろうが、同時にこの監督が閉塞感というものにおそろしくこだわっていることがよくわかる。延々と続く「閉塞感」。「外」へ出たいと願うのに、様々な要因が重なり結局主人公の願いは空しく空回りし続け、エレベータは無駄に上下を悪夢のように繰り返す。しかし(ここが面白いところだが)、もし仮に真の自由を獲得できる瞬間が訪れたとしたら? エレベータの扉が目の前で開いたら? 我々は本当に自由を選ぶことができるのだろうか? いや、そもそも主人公(と我々)はエレベータの外に広がる世界に出たいと本当に望んでいたのだろうか? ……などという実にネ暗なテーマを観客につきつけ、映画は終わる。いいですねー。これは本当に面白かった。「キューブ」もやってることはほとんど同じなんだけど、長編になってセットが多少豪華になった(とってもオシャレになった)おかげか、それが薄められていて大分口当たりがよくなっている。この辺が受けた要因なのかなあ。うーん。


4月9日  私はすごく不満だったので……

 「カウボーイ・ビバップ」第23話については色々言いたいことがあるのだが、これは本当にネタバレになって、未見の人に申し訳ないからなあ……。要は、「制作側の意図が透けて見えるような話はキライ」ということ。つまりは、最終回に向けて、諸々の整理をしたかったわけでしょ。やるんだったら、前々から伏線はっとけよと思うのであった。


4月8日  やっぱり、コーキーが一番?

 「SF映画を観る」と言った舌の根も乾かぬうちに、どう考えても非SFの「ブラック&ホワイト」を観た。いや、主演がジーナ・ガーション(「バウンド」)だったもので、前から注目していたんですよ。まあ、この際だから、ということで。
 物語のあらすじはネタバレになるから、という都合のいい理由をつけて端折るけど、つまりは、チープなミステリの一言ですむだろう。この場合のチープっていうのは、ミスディレクションが露骨にわかるという意味で使っている。はいはい、がんばって観客をダマそうとしているわけですね。ご苦労様。まあつまりは、映画っていうより、テレビで放映する方がお似合いではないかなと、思うくらいの出来だ。人が殺されるたびに、被害者の目がアップになるという、実にセンスのない撮り方もテレビっぽい。また、物語が動き出すような重要なエピソードがほとんど映画の外からやってくる(突然電話がかかってきて、衝撃の事実が判明する、とか)というのも、マイナスの一つ。
 ただ、脚本演出その他は全然期待していなかったので別にいいんですが、問題なのはお目当てのジーナ・ガーションが全然美しくないっ! というのはちょっとショックだった。あのー、「バウンド」でのかっこいいお姿はどこへ行ったんでしょうか。警官の制服姿はどちらかというと「おばさん」(うわー、ファンの方ごめんなさい)にしか見えないのは、私の目が腐っているせいでしょうか。以下、延々とその手の愚痴が続くのだが、うざったいので省略。そういえば、このビデオに収録されていた予告編のうち、確か3つくらいにジーナ・ガーションが出演していたんだよな。口直しに観ろ、ということか? それとも素直に「バウンド」をもう一度観た方がいいか?

ジーナ・ガーション関連では参考として、超姉貴/Hyper Sistersを挙げておく。


4月3日  背広着て宇宙へ行こう

 ってことで、最初のお題は「ガタカ」。私としてはあの独特のセットとユマ・サーマン様の美貌がお目当てで観たようなものである。……結果としては前者はなかなかの出来。後者は、もう少し出番が欲しかったなあ……というところだろうか。

 物語は、遺伝的に欠陥をかかえた主人公がそれを隠して「ガタカ」という名のエリート企業に入社し(本来は、遺伝的に優れた人物しか入れない)、とっても偉くなろう(=宇宙飛行士になろう)とする、というもの。

 これはある意味、弱者が社会の偏見にめげずたくましく生きていく話の一種だととらえていいのではないのだろうか。ただ、主人公が努力しているのは、いかにして遺伝子チェックをごまかすか、ということであり、ガタカ社で出世していこうとする努力の過程は物語内では描かれていない。いや、そもそも主人公は心臓に欠陥があるわりには体力的にもそれなりに優れていたり、頭も良さそうだったりするので、いまいち「弱者」という感じが伝わってこない。その割には最終的に「劣った人間でもがんばれば何でもできるんだ」的な結論を出そうとしていて、どうも釈然としない。
 まあ、以上のことは、演出が比較的おさえめだったり、ディストピア的な舞台がうまくはまっていることもあって、強く気になるレベルまでは行っていない。自分の髪の毛一本だけでも身元が割れてしまい、遺伝的要素で優劣が決まってしまう未来世界というのは、とてもリアリティがあると思う。先にセットの素晴らしさについてちょっと触れたが、「ガタカ」では壁や天井、そして床までがピカピカに磨き抜かれており、清潔そのものである。一見するとどこかクラシックな未来描写だが、かえってそこに見あたらない塵(人の体毛やふけ等)を意識させることになっていて、うまくテーマとシンクロしている。ある意味、正しくブレードランナーしていると言えるだろう。

 人物描写に関しては、主人公と遺伝子チェックをごまかすために用意された替え玉の男の友情がメインになっていたり、遺伝的に優秀な彼の弟との確執があったりして、その絡みの故かどうかはわからないがゲイテイストがめちゃめちゃ濃い。おにいちゃんの裸はかなり頻繁に見ることができるので、その手の描写が好きなひとにはたまらんでしょう。確か、映画が始まっていきなり、主人公の裸を拝むことができたような。いや、そーゆーシーンに限って、妙にアングルや照明に凝っているように思えたんですが。あっさりとした主人公とユマ様のベッドシーンと比べると妙にネチっこいんだよなあ……。

 まあ、そんなわけで、物語をざっと見渡すと、結構欠点やら不満やらが散見される。特にテーマに関してはツッコミ所が沢山ありそうだ(まるで、「メタルギア ソリッド」のごとく)。が、それでも私はこの映画がとても好きである。何故か。それはひとえに主人公のモチベーションが「宇宙へ行きたい」とう願望に支えられている、という点に尽きる。とりわけロケットの打ち上げを見つめる主人公の表情は実に良い。遺伝がどうたらという所はいまいちピンとこないが、宇宙へ行くという文脈なら素直に共感できるのだ。ああ、私も替え玉を使えば宇宙へ行けるということならば、魂の一つや二つくらい売っても構わないぞ(笑)。だから逆に後半正体がバレそうになって主人公が宇宙へ行くことを半ばあきらめようとしている箇所はちょっと納得がいかなかった。お前なあ、これまでの努力はなんなんだよー。どこぞの宇宙軍は、発射台周辺で戦争がおっぱじまってしまったにも関わらずロケットを打ち上げたんだぞ。実際、物語が進むに連れ主人公の関心が次第に宇宙から人間に移っていってしまうので、どうも感情移入しずらいところがある。いやもちろん、ユマ様は素晴らしい美貌の持ち主であらせられるので、しょうがないと言えばしょうがないんですがね。

 ところで、『星ぼしの荒野から』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)の解説で伊藤典夫が「よだかの星」を引き合いに出していたが、「ガタカ」もどこかそれに通ずるものがあるように思えるんだけど、どんなものでしょうか。


4月1日

 えー、ということであっという間に日付は4月1日です。それはそれで別にいいんですが、問題なのは書いている実時間が大幅にずれこんでしまっている、ということ(実際は6日)。つまりは、エイプリルフールのネタが全然使えないわけ。くーー、あることないこと(実質的にはないことないこと)を書き散らすチャンスだったのにいいい。今となっては本当のことしか書けないではないか。つまり、書くことがなにもない。弱ったなあ。
 んー、じゃあ、こうしよう。「もしかしたら嘘かもしれないし本当かもしれない」というグレイ・ゾーンの話というのはどうだろう。そう、嘘か真かわからない禁断の領域といえば未来。私は未来について述べたいと思うのだ。って、要はこれからの予定でお茶を濁したいと、こういうわけです。予定が当たればよし、そうでなければ「いやあ、予定を書いた日付は4月1日だし」と言い逃れができる、と。やっぱりなんでも二枚舌は大切ですよね。
 で、相も変わらずこの日記で実生活の体験談を書くつもりは全くないわけで(というか、そんなもんを面白がる人は誰もいないということは確信を持って言える)、例によって感想文を適当に書き連ねていくことになるんだけど、今月はSF映画強化月間というのはどうだろうと思っている。いや、映画館に行くんじゃなくて、ひたすらビデオを観るだけね。と、いうのも去年話題になったSF映画が最近立て続けにビデオ化されているのだ。「ニルヴァーナ」とか「リバース」なんかもそうだし、自分が観ていない作品だと「CUBE」とか「ガタカ」(これが出たのは結構前かな?)とか。あと、そろそろ「ダークシティ」も出まわるはず。この辺をチェックして感想を書いていきたい。そういえば、「エイリアン4」とか「GODZILLA」も観てないんだよな。ちょうどいい機会かも。そんなとこです。


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