BOOK of Days

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5月31日

 映画「ホワイトハウスの陰謀」を観る。シークレット・サーヴィスがあれくらいバカだったら、大統領は何人暗殺されていたかわかりませんな。家に侵入した形跡を残し、取り押さえるべき人間を逃し、あげくの果てには……。雰囲気やセットはなかなかよくできている映画だと思うんだけれど、肝心の脚本がねえ。なるべく知的な話にしようとしているのはよくわかるが、話が進めば進むほど馬脚をあらわしてくれる。最後はほとんどコメディかと思っちゃいました。


5月30日

 「神宮寺三郎」ひとまず、終了。エンディングはとってもかっこよかった。ところで、なんとはなしにエンド・クレジットをみていたら、オープニングを佐藤嗣麻子が監督していたということにようやく気づく。そうか、どうりでやたらにセンスがよかったわけか。でも、最初と最後の出来がよいというのはいいんだけれど、肝心の中身がイマイチなんですよねえ。ただ、まだ神宮寺一人のみの視点でしかプレイしていないので(このゲームは複数のキャラクターの視点で物語を進めることができる)、別のキャラクターで遊んでみると、だいぶ印象が違ってくるかもしれない。ゲームはどうせ、「メタルギア・ソリッド」が出るまで何も買わないと思うので、また再挑戦してみよう。

 かっこいい、といえば29日の「カウボーイビバップ」。いやあ、よかったですううううううう。もう、あの冴え渡る演出はどうしてくれよう……。基本的にはハードボイルドしているんだけれど、随所にちょっとしたギャグが効果的に挟み込まれているのが、なによりも素晴らしい。それによって、ともすれば一本調子になりがちな話をうまくふくらませ、また、同時に深刻な箇所を引き立たせることができている。こちらはどこをとっても、センスがよかったです。いやあ、楽しいひとときを過ごさせていただきました。


5月29日

 『戦闘機甲兵団レギオン』読了。私はてっきり、悪逆非道の異星人に立ち向かう勇敢な地球人の物語だとばっかり思っていたんですが、ちょっと違ったみたい。地球帝国での内紛にかなりのページが割かれているんですね。つまり、大きく分けて二つの戦い(対フダサ人、地球帝国の内戦)があって、ちょうど両エピソードの中心地点にサイボーグ戦士「レギオン」がいるという格好になっている。よくいえば、バラエティー豊かだが、悪く言えば話が分裂しており、どちらかに統一した方がよかったような気がする。
 それから、ふと思ったんだけどこれを押井守監督で映像化したらどうなるんだろう?

 恐怖のフダサ人をうち破ったサイボーグ部隊「レギオン」はその功績をたたえられ、英雄となった。だが、平和が戻るにつれ、しだいに彼らの強大な力とそれに基づく思想が忌避されるようになり、徐々にレギオンたちは孤立するようになる……。
とか。ちなみに、バーホーベンが監督したら……それはもう映画館で観ることができるでしょう。「君も、レギオンに入隊しないか!?」なーんて。


5月28日

 「カウボーイ・ビバップ」のサントラを買ってしまう。ジャケットを見ればわかるとおり、あきらかにアニメ色をなくそうとしているのがわかるんだけど、でも、この内容ではアニメを見ている人じゃないと楽しめないと思う。
 そろそろ、ページを更新しなくてはと、色々な箇所に手を加える。日記のタイトルも変更。だって、年鑑の進行状況を書いてもしょうがないじゃない。進んでいないから……というのは秘密。
 東洋大SF研の後輩からメールが来たので読んでみたら……「1年の女の子は全部で7人ぐらいいるらしい」とのこと。はううっ。すげえ、私のひとつ下の代の時もかなりの数の女性会員が入ってきて驚いたんだけど、今年はそれ以上かっ? う、うらやましい。


5月27日

 表紙がエヴァの『戦闘機甲兵団レギオン』を読み出す。まあ、どうやら悪い宇宙人を駆逐する脳天気な話っぽいので、内気な少年なんかカケラもみあたらないんだろう。思っていたよりも楽しめそうなので(バカっぽいし)、これからの地球側の反撃が楽しみ。


5月26日

 『魔法の猫』ようやく読了。なかなか楽しめました。内容で言うと「跳躍者の時空」、バカで好きなのは「グルーチョ」、一般受けしそうなのは「ささやかな知恵」といったところでしょうか。ほかにも面白い作品が粒ぞろいなので、猫好きじゃなくても読む価値はあると思った。でも、猫好きに語らせると面白そうだな。キングの「魔性の猫」を糞味噌に言ってた後輩がいたのを私は知っている。私はけっこう、好きなんだけどなー。


5月24日

 ふと、ゲームがやりたくなって久しぶりに「神宮寺三郎」を再開する。このゲームは様々な登場人物の視点に立ってストーリーを進めていくことができるのだが、やっぱり最初は主人公の神宮寺を選択していくことになる。なんだかんだいって、物語は彼中心に回っていくわけだし。で、結局ラスト直前まで到達。エンディングは多分もうすぐだろう。今のところ、我らが探偵神宮寺は、実に複雑で難解な(ありそうもない)トリックを見破り、そのくせ疑ってしかるべき人物を信用したあげくに、致命的なミスを犯してしまう。納得いかんなあー。プレイヤーにとってはわかりきってる事柄をゲームが後から追いかけていくという、非常にまずい構造になってしまっている。話としては現代の問題を扱った前作の方がまだ優れているのかもしれない。まあ、他のキャラクターでプレイしてみればもうちょっと印象はかわるかも。時が経つと何やってたんだが忘れちゃうんで(ゲーム中でそれまでの話をもとに推理する、というモードがあるのだが、以前プレイした内容を思い出すのが大変だった)、今度はなるべく時をおかずに、遊んでみることにしよう。


5月23日

 コンテンツの充実に向けてページをいじる。セミナーレポート合宿篇がいまいちうまくまとまらない。少し方針を転換すべきだろうか。なかったフリをするというのもありかも。まあ、そのまえに別のネタをアップして置いてその間に考えよう。


5月22日

 名大OBの林さんから、HP開設ご愁傷様メールをいただく。やたっ! 林さんが同情してくれている! これなら、きっと容赦のない突っ込みは今後なくなるに違いないっ! わーい。
 と、いうとこで、幸福感に包まれたまま何もせずに一日を終わる。と、いうか、昨日行ったビジネスショウの疲れが抜けきっていないので、何もできなかったんですうう。でも、林さんは許してくれるはずだからまあいいか。そういえば、メールに、新しいコンテンツが云々とかあったような気がするけど、ま、気のせいだろ。


5月21日

 東京ビジネスショウ '98を観にビッグサイトに行く。まあ、例えばゲームショウなどとと比べれば地味なはずで、NTTが妙に力を入れていた(含コンパニオンのおねーさん)点を除けば特に目をみはるようなものはなかったように思う。いや、まあ、コンピュータ上で判子が押せるというわけのわからんソフトとか変なものはいくつかありましたけれどもね。

 ただし、ひとつだけ、注目すべきパソコンが出展されていた。シャープの「メビウスノートPJ」がそれ。この「PJ」っていうのは「ポジティヴ・ジャストフィット」の略である、という風に説明すればなんとなく見当がついてくると思うんだけれど、そう、今馬鹿売れのノートパソコン、SONYの「VAIO 505」に対抗して作られた製品なんですねー。とにかく、薄くて(21.2〜28.3mm)軽くて(1.37kg)高性能(MMX Pentium233MHz)。そして、何よりもデザインがよい。「VAIO」が紫を基調とした、ホビー色の強いデザインになっているのに対して、「PJ」はメタリックシルバーで覆われていて、大人っぽくそして、ビジネス色の強い外観になっている。白系統を基調としたノートパソコンって私は嫌いなんだけれど、これだけは別。いや、とってもおしゃれです。ポインティングデバイスに付いているボタンが銀色っていうのが、さらにグッド。拡張性も「VAIO」よりも高くて、本体だけでプリンタと通信ケーブル以外はひととおりつなぐことが可能。それらも付属している外付けFDを装着すれば接続することができちゃったりする。これで、メモリーが64メガ固定じゃなかったら言うことないんだけれどもなあ……。しかし、これは売れるでしょう。夏のノートパソコン商戦はソニーとシャープの一騎打ちになりそうですな。ついに、「VAIO」の独壇場ではなくなりそうで、なんだか意味もなくわくわくしてしまった。

 そろそろ、ページを正式公開することになりそうだ。日記についてはあまり気に入っていない部分があったりするのだが、そもそもコンテンツが皆無に等しいので、ひとまずは続けることにしたい。がんばって、面白いものにしてゆくか、もっと面白いコンテンツを作るよう努力することにしよう。ということで、おきまりの文句をひとつ。「え? 年鑑? なにそれ」


5月20日

 カウンター問題は未だ解決されず。うーん、どうしたもんか。
 さて、東洋大学幻想文学研究会の方でだったか読書会をするらしいので(私は出ませんが)、いい機会だからと、猫に関するSF・幻想文学のアンソロジー『魔法の猫』(ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワ編/扶桑社ミステリー)を読んでみる。冒頭のフリッツ・ライバーの「跳躍者の時空」は結構有名らしいのだが、私は今回が初読。なかなか味わい深くて楽しめた。が、前半を終えて一番心に残ったのは、ロン・グーラートの「グルーチョ」。内容自体はスカスカで、「跳躍者の時空」と比べれば趣も何もあったものじゃないんだけれど、とにかく文章全体のノリが下品で楽しい。こういう、頭を空っぽにできる話は大好きですね。


5月19日

 Webページ移転作業に明け暮れる。この時点で基本的には移し終わっていたんだけど、掲示板とカウンターが思うように動いてくれない。結局、カウンターは別のCGIを使用することにする。んが、どうも中身がちゃちくて、ページをブラウザに表示させる度にカウントしてしまう。普通だったら一度表示させてしまえば、リロードするか、新しくブラウザを立ち上げて見ない限り、カウントされないんだけど……。というわけで、カウンターをまたまた付け替える必要が出てきてしまった。どうなることやら。


5月18日

 『密告』読了。うーん、悪くはないんだけど、絶賛する気にもなれないなあ。基本的には身に覚えのない嫌疑をかけられた男がそれを晴らすために奔走する……という話なんだけど、作者がそれに色々な要素を加えていたりする。たとえば、主人公には前科があって、とか、三角(いや四角か)関係等々。でも、それがいまいち効果をあげていない。ようは単純な勧善懲悪にしたくなかったんだと思うのだけれど、「俺は罪という罪を犯してきた」と呟く警官の物語、『贖い』と比べるとはるかにかすむ。余計な設定はいれないほうがよかったような気もする。


5月17日

 ページの正式公開に向けての準備や日記の更新に明け暮れる。もう少しで東洋大SF研のページも移動しそうだし、そろそろきちんとした外見にしなくてはならない。中身はともかくとして。

 話はかわって、自衛隊の演習を見学した先輩によると、そこで「パトレイバー」の音楽(劇場版)がかかっていたそうな。ずーっと。我が国の平和を守ってくれる人たちがおたくでどうする。と、いうことは『宇宙の戦士』にならうと、将来の日本において選挙権を持てるのはおたくだけということになってしまうのかもしれない。すごい未来だ。


5月16日

 「もう東洋大SF研とは縁を絶つ」と言った舌の根が乾かぬうちに、サークルの後輩と一緒に「スタシップ・トゥルーパーズ」を観に行ってしまう。我ながらなんだかなあ、という感じである。セミナーで彼らと一緒になった頃から次第に学生気分が復活しつつあるんだよなあ。困ったものだ。それはそうと、今回は『宇宙の戦士』読書会の後に映画を観るという趣向だったらしい(読書会に関しては私は不参加。なかなか盛りあがったようだ)。そんなわけで、小説と映画の違いについてはきっとサークルのページで詳細なレポートがアップされるはずなので、そちらにまかせるとして、私は単純に映画オンリーの感想を書いてみたい。

 まず、第一に思うことは監督バーホーベンの趣味の悪さ、であろう。第二次世界大戦中のプロパガンダ映画のような形をとっているということや、残虐シーンのあれこれ、といったことは様々な媒体で様々な人が述べている通りである。個人的には小さな子供たちが笑顔で小さな虫を踏みつぶしているシーンが大好きであったりする。それから、SFXについて。確かに、バグのCGは素晴らしい。あの、形や動きのリアリティは筆舌につくしがたいものがある。が、その他のSF的なガジェット群は散々な出来で、そのセンスの悪さは「トータル・リコール」から全く変わっていない。なんでも金属光沢をだせばいいってもんじゃないだろう。まあ、宇宙船がなかなか格好良かったのがせめてもの救いだろうか。が、今回に限ってはそういうセンスの悪さ、嘘臭さ、また、もはや語るまでもないであろう人間描写の薄っぺらさが、かえって映画の表面上のテーマを裏切る形になっていて、逆説的によい結果をもたらしているのが、面白い。映画中で表明された意見は必ずしも正しくなくて、むしろその逆であるかもしれない、という作り手側の意図をうまく補強してくれているのである。嘘っぽくなればなるほど、効果的な映画というのはなんだかズルイような気がするが、それだけテーマや手法がバーホーベンに合っていたということなのだろう。でもなあ、やっぱりあのテレビドラマから一歩も抜け出ていないような未来描写はなんとかしてほしい。

 『三つの小さな王国』のほかに本を持って行かなかったので、読了後てもちぶたさになることを予想し、『密告』(新保祐一/講談社)を購入。帰りがけにちらと読んでみる。ちょっとタルいが、なんだかんだいってストーリイにのめりこんでしまう。汚名を着せられた男の物語、というのはありがちといえばありがちなんだけれど、いいよね、やっぱり。感想は例によって読了後に載せることにしよう。


5月15日

 『三つの小さな王国』中の「王妃、小人、土牢」を読了。色々思うところもあるけれど、総じて面白い。物語世界に立ち上がる、とある王国。そして、そこで語られる、数奇な王妃の物語。非常に悲しくもせつない色調をおびた話は、しかし蜃気楼のようにゆらめき、やがて世界から消え去っていく。幻想の持つ力と、そのもろさというものをミルハウザーは小説の様々なレベルで、嫌というほど読者に知らしめてくれる。

 で、こうしたことは翌日(16日)に読了することになる、同じく『三つの小さな王国』中の「展覧会のカタログ――エドマンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術」)でもさらに際だって現れる。16日の日記は別なことにスペースを割くので、バランスをとってこちらに感想を割り込ませることにする。
 「展覧会の〜」は画家エドマンド・ムーラッシュの作品のカタログに載せられている「解説」が絵画の発表年代順に書かれている。「解説」では絵の描写はもちろん、その絵が描かれた際の作者(すなわち、エドマンド・ムーラッシュ)の状態が記されており、つまり年代順に絵の解説を並べることによって、ムーラッシュの生涯を描写する、というわけである。なかなか凝った趣向だ。ムーラッシュの絵自体の描写は、実に詳細でリアリティにあふれていて、本当にそれが実在しているのではないのだろうか? と、思ってしまうほどである。ミルハウザーは虚構の絵を文字を使って生き生きと読者の前に浮かび上がらせることに成功している。そしてそれをフィルターにして、背後に隠されたムーラッシュの物語が、朧気ながら浮かび上がってくるのである。絵の存在感と、それに比べると曖昧な感じがするムーラッシュの物語という対照が実に見事だ。フィクションとしての絵画(とその「解説」)→そこで描写される作者の物語(解説者が伝聞に基づいて書いている、という形式)というレベルを通過するうちに、読者は幻想(あるいは虚構)のもつ二面性に直面していくことになるわけである。と、同時に両者がお互いの存在をめぐって火花を散らしているのが「解説」なのだ、という見方もできなくもない。この辺りの葛藤、というか緊張感については、あえて詳しくは述べない(ボロがでるから)。まずは読んでくださいとしか言いようがないだろう。

 『三つの小さな王国』に収録されている3編すべてを読了して思うことは、以上のようなテーマが、次第に強くなって現れてくることである。最初の「J・フランクリン・ペインの小さな王国」では普通のよくできたお話として読むことも可能であろうが、次の「王妃、小人、土牢」、そして「展覧会のカタログ――エドマンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術」と読み進めていくうちに、次第にそうも言っていられなくなる。さながら幻想や虚構が次第に物語の底から浮かび上がってくるかのようである。そういった全体的な流れをミルハウザーは考えていたかどうかはわからないが、結果的には次第に作者独特の摩訶不思議な幻想世界に引きずり込まれていくような感覚を味わったのは事実である。とにかく、面白いお話があって、それ以外でも色々感慨にふけることのできる優れた幻想文学と言えるだろう。

注:本当の邦題では英数字ではなくて漢数字が使われている( “1810”→“一八一〇”など)。


5月14日

 『語り手の事情』読了。もう笑いっぱなし。いやあ、馬鹿でお下劣な話ってなんでこんなに読んでて楽しいんだろうか。ポルノシーンの中に蘊蓄が入っているという、壊れかけたバランス感覚がなんともいえまへんなあ。


5月13日

 朝、『三つの小さな王国』を家に置いてきてしまったので、手持ちぶたさになり、帰宅途中で本屋に寄ってみたら、酒見賢一の新刊が出ていた。タイトルは『語り手の事情』。帯の文句がすごい。

「妄想の館にようこそ!」
「性妄想を抱いた紳士だけが招かれる謎の屋敷で“語り手”が語り、かつ参加する奇っ怪な物語の行方は?」

 で、帰りがけに読んでみました。いやあ、笑える。いつか、レビューを書こう。しかしその前に年鑑とセミナーレポートだな。

 と、いうことを書いた後に名古屋大SF研OBの林さんのページをみたら容赦のない突っ込みが入っていて涙する。(で、涙を拭いて)ふふふん、ぢつは進んでいない進んでいないとか言いつつ、裏ではちゃくちゃくと完成に向かって手はずが整えられているのさっ! 油断しているところに不意をついてやるのさ。い、いまにみてろよー。ひとまず、後輩に原稿を催促しなくっちゃな(それは遅れているということでわ?)。


5月12日

 『三つの小さな王国』の中の「J・フランクリン・ペインの小さな王国」読了。読み終わったときは結構興奮したのだが、後から考えてみると、ミルハウザーにしては普通の小説であると言えるかもしれない。雰囲気や手触りはもちろん彼独特のものだが、ストーリーは意外とまっとうなものだったと思う。それから、懐古趣味がかっていて、現実と幻想の世界が混ざり合ってくる、ということで某作家が思い浮かんでしまうのは、いたしかたのないことだろう。


5月11日

 例によって、仕事の帰りに書泉ブックタワーに立ち寄る。はっと気が付くと、手に「ポリスノーツ」のカードを握りしめていることを発見するが、なんとかそれを元の位置に戻すことに成功し、自分の自制心が強固であることに満足する。しかし、それは今日に限ったことであって、明日はどうなるかわからないという自覚もあったりする。ああどうしよう。
 家に帰って久しぶりに「神宮寺」(PS版)で遊んでみる。前回と比べておそろしく気合いの入ったグラフィックについては文句の付けようがないが、テキストの方は一向に進歩がみられない。かっこよさを出そうとはしているんだけど、ハードボイルドとしては今一歩つめが甘いような気がする。シナリオも……うーん、これはまだなんとも言えないなあ。
 そういえば、ミルハウザーの新刊『三つの小さな王国』をようやく読み始める。これまたとっかかりなので、なにも言えないが、ミルハウザーはミルハウザーだなあというのが最初の感想。まあ、きっと面白いと思うので、ゆっくりと噛みしめるように読むつもり。多分今年の海外ミステリベストワンは『贖い』で、幻想文学はこの『三つの〜』であるはずなので、残るはSFだな。うーん……きょ『虚数』っすか? それもなあ。
 年鑑はこれからちょっと手直しします。はい。


5月10日

 あちらこちらでセミナーのレポートが出ているのを見て、自分も急に書きたくなる。でも、今書いたら二番煎じになっちゃうからなー……ということで、趣向をかえてみたが、しかしどうかなー。このノリで「合宿編」を書くのはかなりつらいような気がする。また、ノートパソコンのアクティヴデスクトップの調子がいまいちで何度もブラウザを入れ直す。こういうことをやっていたので、年鑑は後回し。追加データを送ってくれない後輩に責任を負わせることにする。困った奴らだ。


5月9日

 祖母の七回忌ということで久しぶりに親戚と会う。別にだから何があるわけでもないのだが、昼に新橋の竹葉亭で鰻を食べる。死ぬほど美味しい。幸せ。
 ということで、幸福感に包まれていたいこともあって、年鑑制作はお休み。困ったものだ。


5月8日

 ギャザだとかモンコレといったようなトレーディングカードの類には一切興味がなかったのだが、ふと、書泉ブックタワーで「ポリスノーツ」のカードを見つけてしまい、思わず購入してしまう。帰宅後に中身を見たら、画面写真の取り込みが甘く、がっかりした。全体的にピンぼけ気味で色も暗い。が、まあ初期の頃のイラストやラフも入っていて、そちらのほうはそれなりには楽しめたかな? うーむ、今度また買おうかしらん。でもそうしたらコンプリートを目指してしまうかも。どうしよう。これで「スナッチャー」とか出たら目も当てられないな。
 しかし、こんなことをやっていたので、年鑑は一向に進まず。困ったものだ。


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